三島由紀夫の愛した美術

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デカダンスと抽象絵画

佐藤 ところで、「青年像」は「芸術新潮」から依頼された企画ですが、そのような企画ものとしては、ほかに「批評」(昭43・6)の「デカダンス特集」で三島が選んだ四枚の絵があります。

宮下 ビアズレイの「僧侶」、竹久夢二の「長崎十二景」から「阿片窟」、大蘇芳年(1839〜1892。幕末から明治初期にかけての浮世絵師。月岡芳年)の「英名二十八衆句」から「笠森於仙」、モンス・デシデリオの「火災」の四枚ですね。特にビアズレイは、子供のころに「サロメ」の挿絵を見て以来、三島は気に入っていた。廃墟や崩壊する建物を描き続けたデシデリオについては、渋沢龍彦から聞いたようです。17世紀のナポリの画家です。フランス人なんですが。今日は三島が「批評」に載せた絵が用意できなかったんで、芳年の「英名二十八衆句」から「直助権兵衛」(図29)とデシデリオの別の絵(図30)を持ってきました。

井上 この特集には、編集上のちょっとした悪意というか、いたずら心が感じられるんです。と言うのは「批評」のこの号は、連載中の「太陽と鉄」の最終回なんですね。太陽と鉄によって肉体を鍛え上げて、頽廃とは正反対の極に立ち至ったまさにその地点で、これとは対極的なデカダンス特集を三島に組ませた。発案は編集同人の遠藤周作です。ところが、編集を引き受けた三島は、この機会を利用して、「太陽と鉄」が象徴するようなマッチョな自分と、自分の精神的故郷とも言えるデカダンスの闇とを明確に対比させたと考えることも出来る。

宮下 なるほど。この号より少し前の「批評」(昭42・4)では、「三島由紀夫の幻想美術館」というグラビアで、ビアズレイの「神秘なる薔薇の園」、ビビエナによる北イタリアの劇場の背景画、エッシャーの「物見の塔」の三点を取り上げています。

井上 エッシャーの騙し絵ですね。

宮下 見れば見るほど次元が混乱して、頭がおかしくなると三島は言っています。ただ、ここまで感心しているのを見ると、ちょっと子供っぽいなとも思いますね。「デカダンス特集」で竹久夢二が好きだと言っているけど、これもどういうことなのか。夢二は三島的世界とは、あまり合わないんじゃないかと私は思うんですが。

井上 夢二はビアズレイの影響を受けていますから、そういう一連の文脈において、関心を寄せているのでしょう。

宮下 そうでしょうか。一方、芳年は歌舞伎の残酷シーンを集めた「英名二十八衆句」で知られる血みどろ絵の浮世絵師です。これは三島の趣味に直結しますね。先ほど、血みどろのものを扱ったリアリズムは好きだと言ったのは、こういう点に繋がるのです。

井上 ごく図式的に考えて、宮下さんが最初に仰ったエロス志望ないし欲望の発露としての美術への関心と、純粋な芸術としての作品への関心との二分法に従えば、デカダンス趣味は、おおむね前者の側ということになりますか? 考えてみれば、三島はグイド・レーニのことを、ルネサンス末期の耽美的画家と捉えているわけで、三島にとってはセバスチャンにも、もともとデカダン的要素があったことになりますね。

宮下 そうです。ところで、三島は芳年が好きなんですから、絵金(1812〜1876。土佐に生まれ狩野派に学んだ画家)も好きだったはずですね。図31は 「関取二代勝負付」より「秋津島内の場」の一部です。

井上 三島は絵金に言及しています。「劇画における若者論」(「サンデー毎日」昭45・2・1)というエッセイで、平田弘史の時代物劇画などに、古い紙芝居のノスタルジアと絵金的幕末趣味を発見したと述べている。

宮下 そうですか。しかし、絵金についてまとまった文章は書いていませんね。

佐藤 書いていない。

宮下 それは残念だ。絵金の本格的ブームは、三島没後になるのかな。でも、今思い出しましたが、三島は平田弘史に切腹の絵を注文し、「君の絵は絵金みたいだ」と言ったそうですね。

井上 それは知りませんでしたが、ありそうな話ですね。「デカダンス特集」とは別に、ほかに日本の画家で三島が強い関心を寄せた人は……?

宮下 俵屋宗達です。二曲一双の「舞楽図屏風」(図32図33)を絶賛していますよ。構図の奇抜さ、大胆さ、破調が、色彩や細部の工夫によって補われているとか、金地と緋色の対比が、金地と白、金地と紺色の対比などとそれぞれ照応して、音楽的な色彩構成を成立させているなどと指摘しています。これは、三島が均衡や構成美に関して鋭い感性を持っているから可能な見方です。しかし、そういう感性を持っているにもかかわらず、三島はモダンアートや抽象絵画には、理解を示そうとしませんでしたね。

井上 本当にそうですね。

宮下 三島は昭和27年にニューヨークに行ったときに近代美術館に行っています。当時アメリカはパリを抜いて世界一の美術の中心地になり、ジャクソン・ポロックとかジャスパー・ジョーンズとかの抽象表現主義、モダンアートの最先端だった。しかし三島はこれらに、まったく関心を示していません。わずかにメトロポリタン美術館のデムースの「黄金の5」(図34)に、触れているぐらいです。
 ただ、さすがに無視できなかったのがピカソで、当時近代美術館にあった「ゲルニカ」(図35)について書いている(『アポロの杯』)。しかし、決して絵として評価しているわけではないですね。

井上 三島は抽象絵画は嫌いなんですね。ただ、「ゲルニカ」について奇妙なことを言っている。つまり、人間の苦痛は無限に大きいので、どんなに阿鼻叫喚をあげても、その苦痛を表現するには足りない。表現可能な領域を超えた苦痛は、「静けさ」としてしか表現できず、その「静けさ」を「ゲルニカ」は捉え、その結果、見る者に「静けさ」の印象を与える、というのです。知識人なら「ゲルニカ」ぐらいちゃんと見ておかなければ、という気持ちが三島にあったかもしれませんが、そういうところから出発しても、常識的な見方とは異なる視点を、三島は打ち出してきますね。

宮下 なるほどね。ニューヨークで思い出しましたが、三島はダリが好きで、メトロポリタン美術館の「磔刑のキリスト」(図36)、ワシントンのナショナル・ギャラリーにある「最後の晩餐」、ロンドンのテート・ギャラリーの「ナルシス変貌」について、短い文章を残しています。「磔刑のキリスト」については、十字架はキュビズム風、マリアはルネサンス風だと書いていますが、別にそんなことはない。これは三島の自由な見方です。美術史的に言うと、ダリの晩年の宗教画は、アメリカのパトロンに受けようとして描いたということで、評価は低い。それを好きだと表明するのは、ちょっと俗っぽいですが、そういう好みを公にすることを三島は厭わなかったんですね。
 それから、今日最後に触れておきたいのは、「美に逆らうもの」(昭36・4「新潮」)というエッセイです。

井上 昭和36年1月に訪れた、香港のタイガー・バーム・ガーデン(図37)についての文章ですね。三島にとっては、ある意味でダリがアメリカ的なシャープな美を象徴していたとすれば、タイガー・バーム・ガーデンはまさにその反対ですね。

宮下 三島はタイガー・バーム・ガーデンについて、地上最醜、奇怪で醜悪だと述べている。それは、幻想が素朴なリアリズムの足枷を嵌められたままのさばる世界、グロテスクが決して抽象へ昇華されることのない世界、不合理な人間存在が決して理性の澄明に到達することのない世界だといいます。その一方で、混沌の美は意識的に避けられ、客は一断片から一断片へ、一つの卑俗さから一つの卑俗さへと経巡るだけだという。

佐藤 三島は、無理をしていると思います。ただ、これだけ徹底しているとそれは何ものかだと感じ取ったのでしょう。

井上 三島の好きなギリシア的な均衡、抑制と秩序、構成美とも、正反対の世界ですね。

宮下 「美に逆らうもの」を通じて、三島好みの美とはいかなるものなのか、改めて逆照射されると思うんですよ。

井上 タイガー・バーム・ガーデンについては、嫌なら単に無視しておけばよいのに、三島はあえてこれを言葉で表現したわけですから、「醜」というものに対する、三島特有の拘りも認められますね。

佐藤 そろそろ時間でしょうか。宮下さんとは以前ちょっとお目にかかり、今日は同じ新幹線で三島まで来て、それからおしゃべりをしながら山中湖までやって来ました。その時間もとても楽しかったのですが、今日のお話は本当に有意義でした。井上さんが、すばらしい人を呼んでくれたと思っています。

井上 以上のように伺うと、三島由紀夫の色々な面が改めて浮き彫りになりますね。たとえば、三島にとってセバスチャンとアンティノウスはイメージとして繋がり、それとデカダンス趣味も間違いなく重なり合っているという考え方は刺激的です。そういえば、『アポロの杯』でも、アンティノウスの像に潜む青春の憂鬱ということを強調しています。これに、さらに森田必勝のイメージも連なるとなると、三島を考える上で重要な視点が提供されると思う。なぜなら、一般にはセバスチャン的なもの、森田的なものは、デカダンス趣味とは相容れないと、漠然と考えられているからです。しかし、これに対して、ちょっと待てよ、と考え直す機会を与えられました。他にも、美術史の専門家の宮下さんに伺ってはじめて理解できた事柄が数多くあります。これらを踏まえて、さらに考えを深めてゆきたいと思います、今日はどうも有難うございました。

第3回レイクサロン公開トーク風景

*第3回 <三島由紀夫文学館・レイクサロン>
日時/2006年(平成18)11月5日
場所/徳富蘇峰館 視聴覚室
公開トーク/「セバスチャンから浮世絵まで -- 三島由紀夫の愛した美術 --」
講師/宮下規久朗(写真中央)、佐藤秀明(右)、井上隆史(左)

*図版は図13(井上隆史撮影)を除き宮下規久朗氏提供による。

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