三島由紀夫代表作品

花ざかりの森煙草岬にての物語盗賊仮面の告白愛の渇き青の時代禁色卒塔婆小町真夏の死葵上潮騒班女沈める滝金閣寺鹿鳴館橋づくし美徳のよろめき鏡子の家弱法師宴のあと獣の戯れ美しい星午後の曳航絹と明察三熊野詣サド侯爵夫人英霊の声太陽と鉄春の雪奔馬文化防衛論椿説弓張月暁の寺天人五衰

鏡子の家

鏡子の家

新潮社 1959年(昭和34)9月20日 初版
「もはや戦後ではない」と言われた「時代」を描いた小説。ニヒリズムが主題。

金持ちの家つき娘で、夫を追い出し気ままに暮らす鏡子のもとに、4人の青年が出入りする。商社マンの清一郎は副社長の娘と結婚し、ボクサーの峻吉は全日本チャンピオンとなり、俳優の収はボディ・ビルで筋肉をつけ、画家の夏雄は展覧会で入賞する。だがその後、彼らは挫折しスランプに陥り、収は心中する。無秩序な焼け跡の時代が終わったのを知った鏡子は「鏡子の家」を閉じ、夫と復縁する。昭和30年前後の時代が描かれた。

同時代執筆作品(1958年~1959年) 「裸体と衣裳」「薔薇と海賊」「不道徳教育講座」「文章読本」「女は占領されない」など

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弱法師(よろぼし)<近代能楽集>

弱法師

初出:丸善 1960年(昭和35)7月「聲」
初収:新潮社『三島由紀夫戯曲全集』1972年(昭和37)3月20日 初版
近代能楽集の8作目。文学と終末感との関わりを暗示する傑作。

家を追われて盲目の乞食となった少年を描く能の「弱法師」に材を求めた現代劇。同種の趣向に寺山修司の「身毒丸」がある。能で盲目の弱法師が心に夕日を想って「満目青山は心にあり」と言う場面は、三島の作品では、主人公の俊徳がこの世の終わりを告げる空襲の幻影に襲われる場面に置き換えられた。俊徳にとってかけがえのない重みを持つこの終末の幻影が奪われることはどういう意味を持つか? このような問いを暗示しつつ舞台は幕を閉じる。

同時代執筆作品(1960年) 「宴のあと」「お嬢さん」「熱帯樹」「百万円煎餅」(ひゃくまんえんせんべい)「スタア」など

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宴のあと(うたげのあと)

宴のあと

新潮社 1960年(昭和35)11月15日 初版
元外相の有田八郎をモデルにした小説。プライバシー侵害で裁判に発展した。

高級料亭の女将福沢かづと、元外相の野口雄賢が結婚する。野口は東京都知事選に革新政党から立候補し、かづは金をつぎ込んで応援する。しかし理想主義者の野口は、それを許さない。結果は野口の敗北。かづは保守党の元総理などの力を背景に、料亭を再開し、2人は協議離婚をする。成り上がりのかづの、なりふり構わぬ生き方が政治的で、正義の政治家野口が観念の人でしかなかったという、皮肉な主題が描かれた。

同時代執筆作品(1959年~1960年) 「熊野(ゆや)―近代能楽集」「十八歳と三十四歳の肖像画」「鏡子の家」「影」「弱法師」など

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獣の戯れ(けもののたわむれ)

獣の戯れ

新潮社 1961年(昭和36)9月30日 初版
三角関係から起こった殺人が、3人のきずなを深めた。悲劇が幸福を生む不可思議な話。

大学生の幸二は、アルバイト先の陶器店主草門逸平の妻優子を愛していた。この夫婦は互いに愛を求めながら、2人とも浮気をしている。幸二は、2人を元のさやに収めようとするが失敗し、逸平に重症を負わせてしまう。刑期を終えた幸二は、西伊豆に住む優子に引き取られる。そこには半身麻痺で失語症の逸平がいた。3人の愛に苦しむ幸二は、優子とともに、逸平の了解を得て、逸平を殺す。不毛な愛とそれを打開する死が描かれた。

同時代執筆作品(1961年) 「憂国」「美に逆らふもの」「魔―現代的状況の象徴的構図」「苺」「十日の菊」など

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美しい星

美しい星

新潮社 1962年(昭和37)10月20日 初版
突然、宇宙人であることに目覚めた一家の話。核兵器を持つ人類の終末を予測する。

自分たち家族が宇宙人であると気づいた一家の当主大杉重一郎は、平和運動を展開し始める。そこに、地球を滅ぼすべきだと主張する、大学助教授らの宇宙人がやって来て、地球の運命をめぐる大議論が戦わされる。大杉家の暁子は、金星人の青年と恋に落ち、子どもを身ごもる。この青年は贋物だと分かるが、暁子はあくまでも金星人の処女懐胎だと主張する。すべてが疑わしく思えた時、一家の前に円盤が着陸する。終末論を題材にしたSF。

同時代執筆作品(1961年~1962年) 「獣の戯れ」「黒蜥蜴」(くろとかげ)「愛の疾走」「帽子の花」「源氏供養」「第一の性」など

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午後の曳航(ごごのえいこう)

午後の曳航

講談社 1963年(昭和38)9月10日 初版
14歳を間近に控えた少年が、殺人を犯す。神戸の事件を思い起こさせる作品。

横浜に着いた船を見学に行った黒田房子と息子の昇は、逞しい二等航海士塚崎龍二と知り合う。昇は龍二を英雄だと思い、房子と龍二は愛し合う。4か月たって、船がまた横浜に帰った。海に栄光などないと知った龍二は、房子に結婚を申し込む。それを聞いた昇は、英雄に裏切られた思いがして、仲間と龍二の殺害を計画する。父親であるという理由で男を殺す、少年たちの透明な残虐性が注目される。イギリスを舞台に映画化された。

同時代執筆作品(1963年) 「肉体の学校」「葡萄パン」「真珠」「自動車」「私の遍歴時代」など

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剣

講談社 1963年(昭和38)12月10日 初版
大学の剣道部の夏合宿を描く。市川雷蔵の主演で、映画化された。

国分次郎は剣道部の主将で、強く正義感にあふれた青年。1年生の壬生は国分を尊敬している。きびしい夏の合宿が始まった。国分次郎の留守に、賀川が、禁じられている海へ行こうと皆を誘う。賀川は次郎の厳格な統率に不満を抱いていた。壬生1人は残ったが、ともに罪をかぶろうとして、自分も海へ行ったと次郎に告げる。合宿最後の納会で、姿を消した次郎は、裏山で自殺していた。衝撃的な死は正義と責任を貫いたものか。

同時代執筆作品(1963年) 「林房雄論」「可哀さうなパパ」「トスカ」「雨のなかの噴水」「切符」など

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絹と明察

絹と明察

講談社 1964 (昭和39年)10月15日 初版
封建的で独善的な会社社長を描く。彦根の近江絹糸の争議をモデルにした。

政財界に暗躍する岡野は、紡績会社社長の駒沢善次郎に紹介され興味をもつ。駒沢の会社は、封建的な家族主義経営で実績を上げていた。岡野の手引きがあり、若い工員の大槻らが、組合を結成し民主化運動に乗り出す。駒沢は「恩知らず」と怒ったが、組合側が勝利を収めた。突然駒沢は倒れ、すべての人を許して死んでいった。岡野の西欧的知性(明察)が、駒沢の泥臭い日本的心情(絹)を滅ぼす話。しかし、滅びた駒沢の力を岡野はひしひしと感じざるをえない。

同時代執筆作品(1963年~1964年) 「午後の曳航」「剣」「音楽」「極限とリアリティー」「恋の帆影」など

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三熊野詣(みくまのもうで)

三熊野詣

新潮社 1965年(昭和40)7月30日 初版
名高い歌人で大学教授の藤宮先生のふるまい。そのからくりを見た女の、心の晴れやかさ。

45歳になる常子は、独身の藤宮先生の世話をしている。常子は藤宮先生を尊敬しており、2人の間には何事も起こらない。熊野に旅をし、先生は熊野の三社に「香」「代」「子」の文字のある3つの櫛を埋める。常子は女の直感で、先生が自分を証人に選んだと悟る。先生が自分の伝説を作ろうとしていると気づくのである。折口信夫をモデルにしたと言われる小説。神経質な老大家の才能から解放された常子の、心の軽やかさが印象的。

同時代執筆作品(1965年) 「月澹荘綺譚」(げったんそうきたん)「孔雀」「反貞女大学」「英国旅行」「サド侯爵夫人」など

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サド侯爵夫人

サド侯爵夫人

河出書房新社 1965年(昭和40)11月15日 初版
近代日本の翻訳劇演技の方法を逆手にとって書かれた、三島戯曲を代表する傑作。

フランス革命前後のパリ、サド侯爵夫人ルネの母親のサロンを舞台とする三幕の戯曲。華麗な衣装を身につけた女性たちによる台詞の対決に、戯曲の醍醐味がある。三島は、獄中のサドに終始一貫尽くしていながら、出獄したサドと会うことなく修道院に入るルネの心理の解明を試みたというが、舞台には現われないサド本人の存在の意味も大きい。ルカチェフスキーの演出では、男性ばかりの女形による公演で話題となった。

同時代執筆作品(1965年) 「三熊野詣」「聖セバスチャンの殉教」「朝の純愛」「春の雪(豊饒の海・第1巻)」「太陽と鉄」など

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英霊の声

英霊の声

河出書房新社 1966年(昭和41)6月30日 初版
人間天皇を呪訴する作品。亡くなった人々の声を借りて、昭和の精神史に鋭く切り込む。

「私」が帰神の会に出席した時の記録。霊媒の青年に複数の怒った神が憑く。聞けば、2・26事件の将校たちだと言う。陛下はわれらの忠誠を憎んだと彼らは悲しむ。さらに別の、特攻隊で死んだ霊が降りる。そして、陛下は戦後に人間宣言をし、われらは裏切られたと呪訴する。「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」という合唱が繰り返される。神であるはずの天皇に捧げた忠誠が、裏切られたとする、戦後天皇制度に対する鋭い批判。

同時代執筆作品(1966年) 「複雑な彼」「仲間」「三島由紀夫レター教室」「夜会服」「荒野より」など

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太陽と鉄

太陽と鉄

講談社 1968年(昭和43)10月20日 初版
虚弱な体質を改善して、逞しい肉体を獲得した三島の肉体論。死を暗示している。

体が弱かった三島は、日光浴とボディ・ビル(太陽と鉄)によって筋肉を身につけた。それまで言葉の世界にいた三島は、言葉と肉体の統一、つまり文武両道を企てた。だが、その行き着くところには死があるのを感じていた。また筋肉を得て、集団に同化する喜びも知ったが、真の同化は苦痛を通してなされるという。集団は、「戻る由もない一つの橋」と記された。筋肉は集団を求め、彼方への飛翔を夢見させたのである。

同時代執筆作品(1965年~1968年) 「英霊の声」「奔馬(豊饒の海・第2巻)」「葉隠入門」「命売ります」など

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春の雪

春の雪

新潮社 1969年(昭和44)1月5日 初版
三島由紀夫のライフ・ワークともいうべき「豊饒の海」第1巻。

大正初期、治典王殿下との婚約が決まった綾倉聡子と松枝清顕との悲恋を描く。清顕の子を宿した聡子は、堕胎したのち奈良の月修寺で出家。清顕は聡子に会うことが出来ぬまま、滝の下での再会を友人の本多に約して死ぬ。王朝文学の「浜松中納言物語」を下敷きに、夢と転生を基調にした4部作の小説「豊饒の海」第1巻。その題名は月の名から取られた。市川染五郎(現・松本幸四郎)、佐久間良子で劇化されたこともある。

同時代執筆作品(1965年~1966年) 「舌切雀」「をはりの美学」「悪臣の歌」「リュイ・ブラス」など

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奔馬

奔馬

新潮社 1969年(昭和44)2月25日 初版
昭和初期の国家主義運動を描く「豊饒の海」第2巻。

昭和7年、判事になっていた本多は、奈良三輪山の三光の滝で飯沼勲に会う。勲は清顕の生まれ変わりであった。彼は昭和の神風連たらんとして財界首脳の暗殺などを企てるが、事前に発覚し検挙。釈放後、1人で財界の黒幕、蔵原武介を刺殺し、自らも切腹する。「春の雪」が「たおやめぶり」「和魂(にぎみたま)」の小説であるのに対し、「奔馬」は「ますらおぶり」「荒魂(あらみたま)」の小説である。作中に挿入された「神風連史話」は三島自身の手になる。

同時代執筆作品(1967年~1968年) 「時計」「男の美学」「アラビアン・ナイト」「朱雀家の滅亡」「文化防衛論」など

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文化防衛論

文化防衛論

新潮社 1969年(昭和44)4月25日 初版
文化概念としての天皇の意義を強調する三島天皇論のマニフェスト。

文化の全体性には、歴史の連続性と言論の自由が不可欠であるが、共産政権は言論の自由を認めず、文化の全体性を崩壊させるので、我々は共産政権の成立を防がなければならない。同時に、文化の全体性を統括する天皇が、自衛隊に軍事上の栄誉を与えることが出来るような体制を整えなければならないと説く。三島は政治概念としての天皇の復活を企図したわけではないのだが、批判や誤解の対象となることの多い問題の評論である。

同時代執筆作品(1968年) 「太陽と鉄 エピロオグ―F 104 」「若きサムラヒのための精神講話」「暁の寺(豊饒の海・第3巻)」「わが友ヒットラー」など

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椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)

椿説弓張月

中央公論社 1969年(昭和44)11月25日 限定版
馬琴の「椿説弓張月」を原作とする三島歌舞伎の集大成。

保元の乱に敗れ伊豆大島に流された為朝のその後の波乱万丈の生涯を、讃岐、肥後、琉球と舞台を移してダイナミックに描くスペクタクル。薩南海上の場における浄瑠璃出語りや船が難破するシーンは迫力満点だ。国立劇場開場三周年記念として上演された。三島は為朝に華々しい運命から疎外された「未完の英雄」のイメージを、為朝を裏切った咎で美女たちの手で虐殺される武藤太に堕落と悪への嗜欲を託したという。

同時代執筆作品(1969年) 「月々の心」「癩王のテラス」「日本文学小史」「行動学入門」「蘭陵王」(らんりょうおう)など

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暁の寺

暁の寺

新潮社 1970年(昭和45)7月10日 初版
エキゾチックな「奇魂(くしみたま)」の小説として書き起こされた「豊饒の海」第3巻。

47歳になった本多はタイを訪れ、自ら勲の生まれ変わりだと語る幼い月光姫(ジン・ジャン)に会う。だが、戦後、日本を訪れた月光姫は過去の記憶を失っていた。月光姫と慶子の同性愛行為を覗き見た本多は、月光姫が清顕、勲の生まれ変わりだと確信すると同時に、認識の世界から逃れられない自分に絶望する。本多が転生の裏付けとして作中で学ぶ仏教の唯識説に関する引用文の典拠はほぼ調査されているが、他にも検討すべき問題の多い作品。

同時代執筆作品(1968年~1970年) 「小説とは何か」「ミランダ」「日本文化の深淵について」「椿説弓張月」「天人五衰(豊饒の海・第4巻)」など

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天人五衰

天人五衰

新潮社  1971年(昭和46)2月25日 初版
「豊饒の海」の最終巻。最終回の原稿は、三島の死の当日の朝、編集者に渡された。

76歳になる本多の前に、本多の自意識の雛形であるかのような少年・透が現れる。本多は透を養子に迎えるが、透は自殺に失敗し失明。彼は偽者の生まれ変わりだったのだ。本多は60年ぶりに月修寺を訪れ聡子と再会するが、聡子は清顕という人物のことを知らず、すべては本多の夢物語ではないかと語る。結末は当初の構想と大きく異なるが、三島は最後の本多の心境について、あるいは「幸魂(さきみたま)」に近づいているかもしれないとも述べた。

同時代執筆作品(1970年) 「問題提起」「革命哲学としての陽明学」など

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