井上 そうでしょう。しかし、いずれにしても、三島自身がセバスチャン殉教図に惹かれ続けたのは間違いない。『アポロの杯』でも、ローマのカピトリーノ美術館で、ついに「聖セバスチャンの殉教」を眼前にして幸福だったと述べています。
宮下 そうですね。ただ、三島はローマやパリ、ニューヨークで他にも色んな絵を見ています。この辺りで話題を変えて、世界各地で三島はどんな美術作品に触れたかということを見てゆきましょうか。
三島がセバスチャンについで好きだったのはアンティノウスの像で、ローマ滞在中にこの像を見るために、三島はヴァチカン美術館に二度も行っています。胸像(図13)と全身像の他に、バッカスに扮した立像もあります。アンティノウスというのは、ローマの五賢帝の一人ハドリアヌス帝に寵愛された少年でしたが、なぜかナイル川に身を投げて自殺してしまった。ハドリアヌス帝が死を命じたのか、帝から逃れようとしたのか、厭世的になったのか、死の理由はわかりません。ハドリアヌス帝は嘆き悲しんで、その後アンティノウスの像を繰り返し造らせました。エジプトで死んだので、エジプトの神の姿として造らせた。ローマの郊外にティヴォリという町がありますが、これはハドリアヌス帝がアンティノウスを偲ぶために作ったと言われています。ただ、アンティノウス像は何度も何度も造られているうちに、どんどん理想化してしまい、バッカスに扮した立像などはただのアポロ像のようになっている。これは、三島も一回目にヴァチカンに来た時には気づかずに見逃しました。もっとも実体に近いのは図13の胸像と思われますが、以前井上さんがローマに来た時、私もたまたまローマに居たので一緒にヴァチカンに行ったんですが、その時彼が、一目見るなり森田必勝に似ていると言ったのをよく覚えていますよ(笑)。
井上 そう。顔の輪郭、頬から顎の辺りでしょうか……。
佐藤 私も似ていると思います。あるいは、森田を理想化すると、こういう感じになる。
井上 『仮面の告白』には、セバスチャンをアンティノウスに重ね見ている箇所があるんですよ。三島にとっては、セバスチャン、アンティノウス、さらに森田は、イメージとしてずっと繋がっているんですね。
宮下 普通日本人がヴァチカンに来て一番期待するのは、システィナ礼拝堂のミケランジェロの壁画なんですが、『アポロの杯』ではアンティノウスにばかり言及して、ミケランジェロのことはほとんど無視している。ミケランジェロの絵には筋骨隆々たる人物がたくさん出てくるんですけどね。セバスチャンやアンティノウス以外には、あまり興味がなかったんでしょうかね。
井上 そうですね。とはいえ他にも色々見ていないわけではない。三島がローマで見たもので、他に注目すべきものは何でしょうか?
宮下 ローマ国立美術館(テルメ美術館)にあるミュロンの「円盤投げ」のトルソかな(図14)。大理石の模刻ですが。
井上 三島は後に「芸術新潮」(昭42・2)の企画で、西洋美術から八点の青年像を選びコメントを付けていますが、そこでも「闘志」の像として取り上げていますね。
宮下 ここで三島を惹きつけたのは均衡美だと思います。実際に人間にこういうポーズを取らせると全然違う姿になるんですよ。ミュロンの像がこのように綺麗なS字形になっているのは人工的、幾何学的なもので、三島はそこに惹かれたのではないか。
ほかに三島が強く惹かれたものには、ギリシアのデルフォイ美術館で見たブロンズ彫刻の「馭者像」があります(図15)。
井上 これも「芸術新潮」で「勝利」の像として取り上げています。
宮下 ギリシアのクラシック期の大傑作です。ちょうどアルカイック期からクラシック期に移り変わり、それとともに彫刻はプリミティブな動き少ないものから、均衡の取れた動きの出てくるものに変わっていった。まさにその時期の、春のような動きの初発性を感じさせる彫刻です。下半身がやや長いですけど、これは元々は車が付いていたんですね。これは二輪馬車の競技ですが、しかしこの青年が「勝利」したかどうかは、本当は彫刻ではわからない。
井上 では、「勝利」と名付けたのは三島のアイデアなんですか。
佐藤 顔は無表情ですよね。
宮下 これを見て「勝利」だと思ったのが三島の個性だと思います。勝利の喜びを無表情の中に押し殺していると捉えたんですね。
ローマのカピトリーノ美術館に戻りますが、もう一つ三島が好んだのが、「棘を抜く少年」のブロンズ像です(図16)。右の下肢、左の下肢、右の下膊、胴の左側の線が十字をなし、その中心に足の裏があり、そこに小さな見えない棘があるという構図が、ちょうど短篇小説のようだと、三島は『アポロの杯』の中で誉めていますね。これは、先ほどの馭者像と同様、数少ないギリシア時代のオリジナルで、三島はさすがにそういうところに目を付けているなと思います。「棘を抜く少年」は小さな彫刻なので、気づかずに通り過ぎる人が多いんですけどね。
佐藤 これは、三島の評価と美術史上の評価が一致しているということですか。
宮下 そうです。エロチックな関心からではなく、芸術をちゃんと見ているということです。
井上 三島がこれらの彫刻を好んだのは、そこに均衡、抑制と秩序、構成美といったものを見出したからかもしれませんね。