ご執筆いただいた方々のプロフィールは当時のままであることをご了承下さい。(氏名50音順)
秋山 駿|佐伯彰一|島田雅彦|瀬戸内寂聴|竹西寛子|田中美代子|辻 仁成|辻井 喬
出久根達郎|堂本正樹|ドナルド・キーン|細江英公|松本 徹|村松英子|横尾忠則
文芸評論家
1930年、東京生まれ。早大仏文科卒。卒業後3年無為徒食。その後14年スポーツ新聞に勤めたが、三島氏の死の衝撃で退社。その1年前に書いた三島氏方式の批評『歩行と貝殻』によって自立する。
『太陽と鉄』について……三島由紀夫は異常な作家である。どこが異常なのか。自己というものを、自分の手で完全に再創造しようとしたからである。そのあげくどんな自己が出現したか?<そこで私はこのやうな表白に適したジャンルを模索し、告白と批評との中間形態、いはば、「秘められた批評」とでもいふべき、微妙なあいまいな領域を発見したのである>という。それは同時に、まったく新しい批評スタイルの発見でもあった。
文芸評論家
1922年生まれ、三島と3歳違い。東大英文科卒、語学、文学の教師という経歴ながら、不思議な縁で三島と知り合えたのが、50年代半ば。60年代初めアメリカの大学で『金閣寺』解釈で四苦八苦した事も今はひたすら懐かしい。
三島全集36巻、どれを取るかといわれると、正直な所困ってしまう。百花繚乱、目移りがして中々きめ難い。まずあげたいのが、やはり『近代能楽集』。能楽は、ある意味であまりに完成された伝統藝能だから、現代的な翻案、パロディといっても、容易なことでは手がつけられない。三島の場合、郡虎彦という先行者はあったが、全く獨自な着眼と手法で物の見事にこの難物の現代化をやってのけた。『卒塔婆小町』、『班女』、『弱法師』などその上演も何度か見せてもらったが、その都度、ひきこまれ、感嘆させられてしまう。大作としては、やはり最後の『豊饒の海』。野心先行という所はあるけれど、近代小説体に向って、疑問符と否!とをおしつけようという作者渾身の力業には、やはり脱帽の他はない。それと『假面の告白』のいかにも颯爽たる若々しさの切れ味も逸し難い。
作家
1961年東京生まれ。1984年東京外国語大学ロシア語学科卒。1983年、『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。主な作品に『天国が降ってくる』、『夢使い』、『彼岸先生』、『忘れられた帝国』、『自由死刑』など。
恋愛小説の不可能性に正対し、恋愛の自由と過酷をアイロニーなしに書き尽くした傑作だと思う。恋とは、この世では決して成就しない悲願の欲望である。文字通り、『豊饒の海』は悲願に広がる無限のことで、生きてここに到達する者はいない。『春の雪』の松枝清顕は、日本の近代小説が産み落とした最も不吉な恋狂いであった。真に彼を反復しうる恋愛のヒーローはなかなか現われるものではない。
作家・天台宗の尼僧
1922年徳島市生まれ。東京女子大学卒業。1992年『花に問え』で谷崎潤一郎賞。1996年『白道』で芸術選奨文部大臣賞(文学部門)。1997年、文化功労者に選ばれる。
「禁色」が書き上った時、私は三島さんに一ファンとしてお祝いの手紙をさしあげた。思いがけず、長文のお返辞をいただき、この小説を書き終わったら死ぬのかと期待していたのに死ななくて残念だったとあったのが印象深い。前後の文脈では死ねば夭折で、天才の列に入れたのにという意味だった。
作家
1929年4月11日、広島市生。早稲田大学文学部卒。著書『竹西寛子著作集』全5巻、『兵隊宿』(川端康成文学賞)、『長城の風』、『日本の文学論』、『山河との日々』ほか。<作家評論家としての業績>により日本芸術院賞受賞。芸術院会員。
三島由紀夫の創作活動は、私見によれば昭和31(1956)年に向って一気に上昇する。その上昇を極めた時期の連載が「金閣寺」であり、「橋づくし」も同年の発表である。「近代能楽集」のこの年の刊行も偶然とは思われない。「金閣寺」は、日本の文学において観念と抒情とはいかに調和し得るかを証した高度な典型の1つ。この場合、日本の文学は、国語と言い換えてもよい。「金閣寺」以後は、私は専ら三島の評論を読むようになった。
文芸評論家
1936年、秩父市に生れる。早稲田大学時代、パスカルなどフランスのモラリスト文学に惹かれ、文芸批評を志す。1971年より5年間、三島由紀夫全集を編集。著書『ロマン主義者は悪党か』『天使の幾何学』他。
『苧莵と瑪耶』について
昭和16年12月8日といえば、太平洋戦争の開戦日で、街は戦意昂揚に湧き立っていた。出征兵士は朝に夕に家々の軒を出、行方もしれぬ彼方の海に旅立っていった。時あたかも16才の少年によって書き始められたこの恋物語は、星座の絵図のように天空を巡りながら、人間界に降りてくる。風雲急を告げる外界と、この透明無比な夢の苑―死を超えて耀く至福の愛の悲劇とは、背を反けあいながら、どこかで交錯しているように思われる。
作家・詩人・ミュージシャン
1959年、東京に生まれる。1989年小説『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞受賞。1997年、小説『海峡の光』で第116回芥川賞受賞。主な著書に『クラウディ』『ニュートンの林檎』ほか、詩集、エッセイ、写真集等多数。
金閣寺は何十回と読んだ。仮面の告白は一度しか読んだことがない。しかしその比重は同じくらい私の中では大きい。金閣寺はこれからも読むだろう。仮面の告白は読まないような気がする。なのに、そこにはもっとも強い三島の魂が眠っている。だから読み返せないのかもしれない。
詩人、小説家
1927年東京生まれ。1951年東京大学経済学部卒。1955年に詩集『不確かな朝』を出版。以来、詩集『異邦人』(1961年第2回室生犀星詩人賞)、小説『虹の岬』(1994年第30回谷崎潤一郎賞)等。近著に『沈める城』(1998年)等
いろいろなベストスリーの選び方があると思いますが、小説、戯曲、評論という各々のジャンルから1作品づつあげるとすると、小説『豊饒の海』4部作 戯曲『サド侯爵夫人』 評論『太陽と鉄』ということになりそうです。そのためのコメントとしては『豊饒の海』は彼の最後の仕事にふさわしく、三島文学の美意識が文学的リアリティを持って充分に形象化されています。その構成は劇的であり、時間概念は直線的な発展史観を拒否して東洋的な宇宙を形成し、全巻、彼がもっとも得意な演劇的要素に満たされています。そのことによって、わが国の近、現代文学を衰微させた悪しき〝自然主義〟から訣別しています。戯曲、評論についても同じような尺度によって選びました。
作家
1944年、茨城に生まれる。作家、古書店主。1992年、『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞を、1993年、『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞。他に『御書物同心日記』『恋文の香り』『花ゆらゆら』等。
三島作品でベストスリーをあげるのは、大変むずかしい。一作として駄作がないからである。全作、傑作といってよい。結局、好きな作品ということになる。10代から30代にかけて、東京の下町で過ごした。この小説の舞台の、近所である。三叉の橋に目をつけたところが三島らしい。7つの橋と芸者と満月で、絵になる。現代風俗を古風な筆致で、過不足なく描くのが、三島の特徴である。百萬圓煎餅はその典型。この小説の発表当時、私は16歳だが、夫婦の「仕事」が何であるか、理解できたのだから、ずいぶんませていたのである。
演劇評論家・劇作家
三島由紀夫より8歳下の1933年生まれ。戦後銀座で巡り逢った演劇評論家・劇作家。劇団NLT・浪曼劇場の同輩としても親灸。現在「能劇の座」代表。鎌倉芸術館プロデューサー。著書に『劇人三島由紀夫』など。
構成は率直にして強固。無駄なものの一切は排除。「セリフ」の元義たる「競り合う」に添って展開する男と男の原理的対立は、楯の両面の摺り合わせで、固い胸板が起こす油汗を発火材とし劇が燃える。「浪曼劇場」の創立に関与し、その文芸部員として劇団事務所で台本の完成を待っていた日々。手の汚れそうなガリ版刷りを近くの喫茶店で読み通した時の興奮。それらを含めて「私の」三島作品の完成点が、『わが友ヒットラー』なのだ。
日本文学研究家
1922年ニューヨークに生まれる。戦後、コロンビア大学院で東洋文学を専攻。現在コロンビア大学名誉教授、ペンクラブ会員。著書『日本人の西洋発見』『日本の作家』『日本文学散歩』『百代の過客』など多数。
小説としての「宴のあと」の価値は、有名人をめぐるゴシップの面白さとは無関係である。三島は素材を巧みに用いて面白い小説を創出し、なかんずく雪後庵の女将、福沢かづという立体性ある人物をつくるのに成功した。この小説により、三島は19世紀フランス小説の手法で書くことのできる能力を実証したと言える。かづは、バルザックの中に登場しても場違いでない人物である。近現代の日本文学の中に3次元のふくらみを持った人物がいかに少ないかを思うとき、これは刮目するに足る現象であろう。
写真家
1933年3月18日山形県米沢市生まれ。1961年9月、三島氏の初めての写真集『美の襲撃』(講談社・1961年刊)のために撮った口絵写真が縁で氏を被写体とする写真集『薔薇刑』(集英社・1963年刊)ができた。
三島さんの作品はいづれも好きだが、とりわけ『美しい星』は今までとはまったく異なる不思議な世界を描いていて、ただならぬ戦慄を感じたことを覚えている。そして、氏が割腹自決したときに書き残した檄文をみて、私はとっさにこの小説を思い浮かべた。そしていま改めて読み返してみるとこの小説は、核爆弾という究極の大量破壊殺戮兵器をつくってしまった20世紀の人類への「哀れみの書」ではないかと思う。
文芸評論家
1933年生まれ。大阪市立大学国語国文科卒。新聞記者などをへて現在、武蔵野女子大学教授。著書に『三島由紀夫論』『年表作家読本・三島由紀夫』『徳田秋聲』小説集『袈裟の首』紀行『ローマ夢幻巡礼』など。
いかにも三島的で、そのきらびやかな才能がくっきり刻印されていて、文句なく魅了される作品を選んだ。『愛の渇き』は中篇小説で、1人の美しい女性が、自らの情念のまま破滅へと突き進んで行くさまが、見事に描かれ、「冷たい情熱」の結晶作用を見る思いがする。『鹿鳴館』の舞台は幾度見ても楽しい。恋と政治と若者の夢が、華麗に悲劇を織り成す。『弱法師』は近代能楽集の内の1つで、夕陽と空襲の炎が重ねられた、世界の終わりのイメージは比類がない。
女優・詩人
慶応大学大学院英文科修了。文学座をへて三島氏に女優として育てられ、氏のほぼ全作品を主演。第1回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。氏の没後、サロン劇場を主宰。TV、ラジオ、映画等に多数出演。詩集、随筆集、翻訳多数。
『サド侯爵夫人』は三島先生自ら「最も完成度、洗練度が高い」と評した戯曲。― 執筆前に「きみを女優として育てたい。いずれ夫人ルネを演って貰う」と言われ、4年後にそれが実現した懐しい作品です。その後私がフランス国営ラジオに請われて、ルネのせりふの抜粋を(日本語で)語った時、日本語の解らないスタッフ全員が涙ぐんで拍手してくれました。― 誇らしくも美しいせりふはラシーヌにも通じる音楽性と哲学とエスプリに満ちています。「朱雀家」はその次の書き下ろし。「薔薇と海賊」は上演直後に先生が亡くなった忘れ難い作品です。
美術家
1936年、兵庫県生まれ。1969年、パリ青年ビエンナーレ展版画大賞。1972年、ニューヨーク近代美術館で個展。1981年、グラフィックデザイナーから画家に転向した。著書に横尾忠則自伝『波乱へ!!』など。
最初に読んだ『金閣寺』。次は『仮面の告白』。『禁色』もいいが思い切って『豊饒の海』を上げたい。これは最近読んだ。輪廻をあつかった小説は他にもあるが、ここまで仏教哲学を深く掘り下げた作品は他にない。三島由紀夫は生とはつまり死を学ぶことであるということをいいたかったのでは。無意識はない。あるのは意識であるといったことは、すでに死後を理性によって生きようということを証明しようとしたようにも思う。3巻目『暁の寺』は重要な意味がある。