入館された方から、三島由紀夫と山中湖の関係をよく質問される。「なぜ、ここに文学館ができたのですか。三島由紀夫の別荘とかあったのですか」
こうした質問をされるのも無理はない。個人文学館は作家本人とゆかりのある地に建っている場合がほとんどである。 当館のように作家とは無縁であるにもかかわらず、文学館が開館したことは、全国でもまれなケースだと言える。 三島は山中湖とは縁もゆかりもない作家であるが、三島の作品には山中湖の名前が再三登場する。登場する作品としては『恋と別離と』『蝶々』『暁の寺(豊饒の海・第3巻)』『蘭陵王』である。とくに『暁の寺』第28章では、山中湖が登場する。登場する場面は本多夫妻、慶子、椿原夫人、槇子、今西の一行が御殿場の本多の別荘から、二台の車に分乗して、富士吉田市の富士浅間神社に参詣する箇所である。
須走(すばしり)から籠坂峠(かごさかとうげ)を越え、山中湖畔の旧鎌倉往還を北上するこの国道は、舗装もない険阻な山道が大半で、山梨県との国境が、籠坂の尾根を通っている。
籠坂峠から向うは、どこもかしこも夥(おびただ)しく雪が残り、山中湖畔の疎林(そりん)の地面は縮羅(しじら)のような凍雪におおわれていた。松は黄ばみ、湖の水にだけうららかな色があった。
当館所蔵の「暁の寺」創作・取材ノートには三島がスケッチした山中湖一帯の地図が描かれ、富士山、旧鎌倉往還(現在・国道138号線)、北富士演習場や周辺の地名が記されている。このノートは1969年(昭和44)3月に作成され、三島が山中湖に足を運んで取材したものと思われる。
また、『蘭陵王』に収録された「自衛隊を体験する」の中で、三島は山中湖の春を次のように描写している。
山中湖の満目の春のうちをすぎる帰路の行程は佳(よ)かった。私はこれほどに春を綿密に味わったことはなかった。別荘地はまだ悉(ことごと)く戸を閉ざし、山桜は満開、こぶしの花は青空にぎっしりと咲き、湖畔の野は若草と菜種の黄に溢れていた。
当館所蔵の「自衛隊を体験する」異稿では、三島が山中湖近辺の角取山(つのとりやま)、三国山(みくにやま)で山地踏破訓練をしたことを書いている。