山中湖畔の道を林の中に少し入ると、三島由紀夫文学館の瀟洒(しょうしゃ)な建物が見えてくる。明るく開けた台地に、観光バスがゆったりと止まる駐車場があり、鳥の声が聞こえる。ここの夏は、気持ちよく涼しい。冬の寒さは凛としている。秋の紅葉、春の芽吹きや富士桜の美しさは格別だ。何度来ても、天気がどうであっても、清らかな気持ちにさせられる。
1999年にオープンしたこの三島由紀夫文学館には、三島由紀夫の著作、初出雑誌のほかに原稿、創作ノート、メモや断片、演劇・映画のプログラムやポスターなど、ここでしか見られない資料が大量にあり、整理保存されている。三島家から山中湖村に資料が譲渡されたばかりの頃、私はその資料の山を前にして、ため息を吐いたのを今でも思い出す。単なる紙の束、というより紙の山がいくつもあったのだ。見たこともない作品がある。知っている作品でも、私の記憶とは微妙に違うものがある。すぐさま読んでみたい『豊饒の海』ノートのほかにも創作ノートがたくさんある。原稿を見ていくと続きのない原稿もある。途中からの原稿もある。それらが今やきちんと整理されて、収蔵庫に収まっているのだ。ここまでくるには、専門職員の並々ならぬ苦労があり、その苦労を吹き飛ばすほどの大発見がいくつもあった・・・・。
エントランスを入るとほどよい広さのロビーがあり、正面のガラスの向こうにアポロ像が立っている。広い芝生の庭に、山中湖の木々を背景にして立つアポロは、三島由紀夫邸の庭を模したものだ。ガラスの扉を開け、外に出ることができる。
展示室の正面には、99冊の初刊単行本が並んでいる。凝った装幀のもの、シンプルなものなどいろいろあるが、いずれもめったにお目にかかれない美本である。文庫本で読んだ作品の最初の単行本を見るのも楽しい。ガラスケースの中は、いわゆる「生もの」でいっぱいだ。自筆の資料を私たちは「生もの」と呼んで、世界に1点だけの資料として大切にしている。ゆっくりとその字面を読んでみてほしいと思う。作家の仕事や生活の現場に立ち会っているような気がして、不思議な気分になる。十代の作品の生真面目な文字、大人になってからの雄勁(ゆうけい)な原稿の文字。三島の原稿は、直しが少なくきれいである。大事にしていた作品は、1日に3枚くらいしか書かなかったというから、おそらく何度も書き直した上で、清書した原稿を編集者には渡していたのであろう。
しかし、そのきれいな原稿に、悪魔的な「危険」がたっぷりと詰まっている。文学の「毒」をしたたかにあおり、また強烈な「毒薬」の製造家として生きた人の、危険きわまりない創造の痕跡がここに並んでいる。これほどの酩酊(めいてい)をもたらす「毒」は、世界中を探してもそう多くあるとは思えない。文学の「毒」は、それが「真実」だから「毒」なのである。「毒」や「真実」を厭わないならば、三島由紀夫の作品を味読してみられたらどうだろう。
展示室の奥では、「世界の文豪三島由紀夫」という美しい映像作品が上映されている。三島作品の映画化を数多く手がけてきた藤井浩明氏の作品である。上映途中の5分でも10分でものぞいていただけたら、美を追究した三島の一面が感じ取れるはずである。二階は、三島文学を研究する人たちのための閲覧室になっている。ここでは、資料の保存に細心の注意を払いつつ、閲覧者に満足のいく資料を提供するために、現物にきわめて近い形に複写された資料が閲覧に供される。
山中湖の美しい自然の中の静かな空間が、三島文学の愛読者や研究者の拠点となっている。なぜ、山中湖なのか。偶然なのである。この偶然は、たいへん好もしい。
佐藤秀明(三島由紀夫文学館研究員)