この公開トークは第3回レイクサロンのイベントとして行われました。以下はその記録です。
佐藤 三島由紀夫と美術というテーマは、今まであまり論じられたことがありません。しかし、グイド・レーニ(1575~1642。バロック期に活躍したイタリアの画家。ボローニャ派の代表的存在で、カラッチ派の折衷主義的な画風やカラヴァッジョの影響を受けた)の「聖セバスチャンの殉教」(図1)に強い関心を示していたことからもわかるように、三島と美術との関係は、浅くはありません。今日は美術史の専門家で、カラヴァッジョ(1571~1610。イタリアの画家。劇的な構図や明暗の激しいコントラストで知られ、バロック美術に大きな影響を与えた)研究で知られる宮下規久朗さんにおいでいただいたので、このテーマを徹底的に考えてみたいと思います。三島由紀夫の思いがけない側面や新しい面白さが浮き彫りになれば、と楽しみにしています。
宮下 私は美術が専門ですが、三島由紀夫にも一ファンとして接してきました。それで思うのは、三島と美術というテーマはあまり論じられたことはないが、三島自身は、美術が非常に好きだったんですね。それは彼の言動からわかります。あのアポロン像が庭にある家からも、彼にとって美術がいかに大きな位置を占めていたかということが窺えます。
ただし、その場合第一に、彼特有の美意識、それはエロス志望ないし欲望と言い換えることが出来ますが、その発露としての美術への関心があります。セバスチャンへの関心も、そういうものです。これは純粋な芸術としての作品への関心というよりも、後年の切腹趣味やサドマゾヒズムへの指向と結びついたものですね。一方、そういう要素の全く出てこない、日本の庭園とか伝統芸術とか、ロココ美術に対するような、純粋に芸術として彼が良いと思っているものへの関心がある。
三島にはこの両方の面があると私は考えたんですが、それは三島の中でも混ざり合っていて、彼が芸術として良いと言っているものの中にも、単にその彫刻の少年の顔が好きだとか、たまたま自分のエロチックな好みと合っているとか、そういうものが交じっている場合もあると思うんですよ。
セバスチャンの場合は非常にわかりやすくて、彼自身、「芸術」と考えているというよりは、自分のエロスがすべて出たという作品です。三島自身がセバスチャンに扮し篠山紀信が撮影した写真があります(昭和43年)。三島はセバスチャンの絵を対象として好むというだけでは満足できず、自分自身がセバスチャンになろうとするわけです。これは欧米でも有名な写真で、美術書などにも載っているんですが、正直言って写真作品として素晴らしいものかどうか、ちょっと疑問がありますね。
この写真以前に三島が好んだのはグイド・レーニのセバスチャン(図2)で、ダンヌンツィオの『聖セバスチァンの殉教』を翻訳した時には(昭41・9、美術出版社)、そのカラー画像を収録しました。これには矢が三本あって、篠山が撮った三島の扮装写真と同じです。お腹のところに矢があるので、覚えておいて欲しいと思います。ローマのカピトリーノ美術館 Museo Capitolino にあるもので、三島はキャピトール美術館と書いてますが、彼が実見したものですね。
井上 『アポロの杯』には、昭和27年にパラッツオ・コンセルヴァトーリで見たとあるけど、カピトリーノとコンセルヴァトーリは向かい合わせに建っていて、普通は両方合わせてカピトリーノ美術館って言うんでしたね。カラヴァッジョの「洗礼者ヨハネ」(「解放されたイサク」)があるところですね。
宮下 その通りです。ところが、『仮面の告白』に出てくるのは、この絵とは違い、同じグイド・レーニが、これよりちょっと前に描いたと思われるものです。ジェノヴァのパラッツォ・ロッソというところにあるんですが、三島は写真でしか見ていません(図1)。これは、お腹に矢の無いバージョンなんです。カピトリーノ美術館で矢が三本の絵を見た三島は、自分としてはジェノヴァの二本の絵の方が好きだと言っています。これは三島の鋭いところで、ローマの三本の絵は非常に有名なものですが、美術史的に言うと、ジェノヴァの作品の方がはじめのもので、ローマのは、その一種のレプリカなんですね。『聖セバスチァンの殉教』にジェノヴァの方の写真を載せなかったのは、単にそのカラー写真が手に入らなかったためかもしれません。
もう一枚、三島が好んだのはソドマ(1477~1549。イタリア、ルネッサンスのシエナ派の画家 )です。これ(図3)はフィレンツェのピッティ美術館にあって、ローマのグイド・レーニの絵と、人気を二分するようなものです。ソドマは、グイド・レーニより一世紀早い16世紀の画家なんですが、その名はあだ名で、ソドミア、つまり同性愛ということです。本名はジョバンニ・アントニオ・バッツィと言いますが、自分でも同性愛だと名乗っていた。昔から同性愛者に好まれた絵で、三島は以上の二枚だけを、カラー写真で載せたんですね。
三島が訳した『聖セバスチァンの殉教』には、カラーではないけど、ほかにも後ろの方にセバスチャンの絵が一杯載っていて、よくこれだけ集めたと感心するほどです。
井上 ローマのスペイン広場の複製屋で集めたそうです。西洋では良く知られた、行き渡った画題であるからこそ、集めることができたとも言えますね。西洋文化の中でセバスチャンがどういう意味を持っていたのかということについて、少しお話いただけますか。