宮下 セバスチャンは、中世から非常に信仰を集めた聖人で、19世紀の世紀末ぐらいには同性愛の守護聖人になります。オスカー・ワイルドも、ジェノヴァのパラッツォ・ロッソにあるセバスチャンの絵について、かつて見た中で最も美しい絵だと語り、また出獄後には、セバスチャン・メルモスという偽名を使ったりしている。ヨーロッパのキリスト教図像事典にも、セバスチャンは同性愛の守護聖人だと書いてあるくらいで、その中でも先ほどあげたローマのカピトリーノ美術館の絵は、特に好まれていたものです。
では、この人は元々どういう人物だったかというと、三世紀後半の実在のローマの近衛兵の隊長だったのです。しかし、ディオクレティアヌス帝の時にキリスト教徒であることが露見して矢で射られる。だが、その時は死ななくて、聖女イレーヌに介抱されて蘇り、その後棍棒で殴り殺されて、ローマのクロアカ・マクシマという暗渠に放り込まれたということになっています。
中世に信仰を集めたのは何故かというと、ペストの守護聖人になったんです。中世にはペスト、黒死病が何度も何度も流行った。ペストにかかると股のところに黒い斑点が出来て、この斑点が全身に広がって最後は土気色になって死ぬんですが、それが矢が刺さった後のように見えるんです。でも、セバスチャンは矢で射抜かれても死ななかったということで、ペストの守護聖人になった。図4は15世紀の民衆版画なんですが、一種のお守りの札です。こういうのがたくさん作られて、家の中に貼られたんですね。14世紀頃からセバスチャンの画像は爆発的に増えたんです。
ルネッサンスでも同じで、有名なのは、三島も『聖セバスチァンの殉教』の中で挙げていますが、マンテーニャ(1431~1506。イタリア・ルネッサンスの代表的な画家)です。図5はルーブル美術館にありますが、下の方に矢で射った人がいて、上方にセバスチャンがいます。三島は気づいてませんが、後ろに古代の廃墟があります。非常に正確な描写で、ルネッサンス古代復興を象徴する部分です。同時に、これは古代の異教が滅んでキリスト教の世の中になったということを示しています。三島は『聖セバスチァンの殉教』の「あとがき」で、セバスチャンは古代ローマによって殺されたキリスト教徒であり、またキリスト教によって殺された最後の古代ローマの美であるというようなことを書いていますが、この指摘とちょっと重なります。
佐藤 マンテーニャの絵は矢が多くて結構残虐ですね。
宮下 これだけ刺さったら、普通は生きてないです(笑)。これは、ペストの守護聖人であるセバスチャンは、たくさんの矢に射抜かれても死ななかったということを強調しているんです。
井上 三島由紀夫の『天人五衰』に、本多老人に「イタリア美術では何が好きかね」と問われた透少年が「マンテーニャです」と答える場面がありますね。
佐藤 それは本多が透に世間との付き合い方を教える場面で、そんな風に聞かれた場合は「ルネッサンスはすばらしいですね」と答えないと、知ったかぶりの小才子と思われて損だと諭すところですね。
宮下 しかし、『聖セバスチァンの殉教』の中でマンテーニャを三枚も取り上げていることから考えると、三島自身好きな絵だったんでしょう。三島にとっては、「マンテーニャ」イコール「セバスチャン」と言える部分もあったのではないですか。
井上 その文脈で考えると、『天人五衰』の透がマンテーニャを好きだと言うのは、つまりセバスチャンを好きだと言っているわけですから、作品の解釈が少し変わってきますね。
佐藤 透は単なる小悪魔ではないということになる。
宮下 なるほど。それから、ほかにもセバスチャンだけを描いた絵や、ポライウオーロ(1431ころ~1496。ルネサンスのフィレンツェの画家・彫刻家)という画家の絵のように(図6)射手が撃っているところも描いた絵があり--- これは三島も取り上げていますが ---、それから彫刻もたくさんあります。三島が取り上げたのは、ベルニーニの弟子のジョルジェッティ(三島自身はベルニーニの作と考えていた)のものだけですが(図7)。
ただし、ルネッサンスにおいては、教会の内部にこういう裸体が置かれているのは、ややエロチック過ぎるということになった。実は、セバスチャンが殉教した時はかなり老齢だった筈で、中世におけるセバスチャン像は白い鬚を蓄えていたりもする。しかし、多くの画家が若く美しい肉体を持つセバスチャンを描くようになり、ヴァザーリ(1511~1574。イタリアの画家、建築家、文筆家。『芸術家列伝』の著者として名高い)が書いているんですけど、フラ・バルトロメオという画家の描いたセバスチャンの絵の前で、女性の信者が集まって大騒ぎをしたため、教会から絵が撤去されるという事件があった。そのころから、セバスチャンはあんまりエロチックに描いてはいけないというお触れが出たんです。16世紀後半のことです。
でも、17世紀になると再びエロチックな姿で描かれるようになりました。マンテーニャの絵では矢の数が非常に多かったが、だんだん矢の数が少なくなるとともにセバスチャンの裸体が前景化してきて、結構エロチックです。図8はリベラ(1591~1652。スペインの画家。イタリア美術とスペイン美術の仲介者の役割を果たした)というグイド・レーニとほぼ同時代の画家の絵ですが、矢が二本になっています。アントネッロ・ダ・メッシーナ(1430ころ~1479。シチリア生まれでヴェネチアで活躍したルネサンスの画家。肖像画と宗教画に優れる)のセバスチャンも、矢の数が少ない。図9はペルジーノ(1445ころ~1523。ルネサンスの画家、故郷ペルージャのほか、フィレンツェやローマで活躍)という画家の絵ですが、矢は二本です。うっとりと天を見上げています。
このように、矢で射抜かれたところの絵が圧倒的に多いんですが、射抜かれた後にセバスチャンが蘇って、棍棒で殴り殺された場面を描いた絵は図10くらいしかありません。ドイツの16世紀の絵です。
それから、17世紀になって増えてくるのは、聖女イレーヌに介抱されて癒される場面で、図11はジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652。フランスの17世紀を代表する画家)の有名な絵で、三島も『聖セバスチァンの殉教』で取り上げています。これは、死んだと思って女たちが泣いているんですが、聖女イレーヌが脈をとってみたら、まだ生きている。そこで、慌てて看病するとセバスチャンが蘇るという場面です。病気の治癒を願うという癒しの画題で、天使が矢を引き抜くという絵もあります。たとえばヴァン・ダイク(1599~1641。フランドルの画家。渡英してチャールズ一世の宮廷に仕えた)の絵で、やはり三島も取り上げています。
その後、宗教美術が衰退しセバスチャンの作例は少なくなりますが、世紀末のフランスでは、シャバンヌ、モロー(図12)、ルドンら象徴主義の画家たちが、殉教者と言うより愛と美に殉ずる蒼ざめた青年としての、頽廃的なセバスチャンを描きます。三島が訳したダヌンツィオの五幕劇も、この流れに属します。音楽をドビュッシー、衣装と装置をレオン・バクストが手がけたこの舞台は、女性人気バレリーナのイダ・ルビンシュタインが演じ、倒錯的な美とエロスの世界を展開しました。
このようにセバスチャンの絵は非常に多く、三島もたくさん集めたわけです。『仮面の告白』の中では、主人公がこの絵を見て、はじめてマスターベーションをする場面が描かれますが、その意味については、佐藤秀明さんが非常に明晰な論文をお書きになっていますね(「聖セバスチャンの不在―『仮面の告白』論―」、「日本近代文学」昭59・10)。